奇跡の保育園「やまなみこども園」 バックナンバー
注*< >は週刊新潮より
作家の「石井光太」氏が週刊新潮に11月23日版、11月30日版の2週にわたって奇跡の保育園「やまなみこども園」についてレポートしている。熊本県にある「やまなみこども園」について、私はその存在すら知らなかったが、全国の保育園や大学の関係者では有名な保育園で、次々と視察に訪れるという。
石井氏によれば、「保育者は園との絆や信頼感から子育てが楽しくなり、多産になる傾向がある」という。日本の合計特殊出生率が1.26にも関わらず、この園の保護者は3人、4人が当たり前で、5人以上の子供を持つ親もいるらしい。
子育ては長期にわたる大変な仕事で、子供がいて楽しいとか嬉しいとか、一時の感情でもう一人持ちたい、などというレベルの話ではない。しかし、この園に通うこどもの保護者の出生率の高いのは厳然たる事実である。「もっと子育てをしたい」と思わせる何かが「やまなみこども園」に存在するということだ。
この保育園もオープンした当初、初代園長の山並道枝氏は当時主流であった「設定保育(一斉保育、計画保育)と呼ばれる保育を行っていた。つまり、これをこうすれば子供はこのように育つという計画をたてて、一斉にやらせる方法である。
山並氏は子供たちと向きあっているうちに、この方法の限界を感じるようになった。そこで彼女は全国の保育園の手法を学び、<自然や音楽の中で主体性を刺激し、成長を促す保育へとやり方を変えていった。>
例えば<散歩の途中で花の蜜を舐めながら虫を追いかける、ピアノに全身で自分を表現する、先生と保護者とともに田んぼで泥だらけになるような共有体験をする…。そうした体験を通じて、子供は見違えるように活き活きとしはじめた。>
理想のために国の定めた以上に職員を雇うのは資金的には厳しい状況を生んだ。そんな園を支えたのが保護者だった。<園の経営資金を補うためにバザールを開いて毎年100万円以上のお金を集めたり、ボランティアとして日々の業務の手伝いをしたり、所有する畑や森を子供たちのために提供したりして運営を後押しした。>
私が特に驚いたのは、20数年前の出来事である。台風によって旧園舎が大きく被害を受けて閉園寸前まで追い詰められたときのことである。保護者達が団結して立ち上がり、物販や募金によって2年で1000万円もの資金をつくった。
単にそれだけに留まらず<それをもとに自分たちが保証人になって銀行から8000万円の融資を受け新園舎を建設した>のだ。8000万円もの保証人になるということが園と保護者との結びつきの強さがどれほどかを示している。
創業者は次にように語っている。<保育の場は、職員だけのものではなく、保護者を含めたみんなのものだと考えています。全員で寄ってたかって子育てをする場所であり、そこで保護者はできることは喜んで引き受け、かかわっていく。…>
夏の夜に行われる夕涼み会が園の催し物に対する保護者と園の関係を見事に表している。この催しは子供向けの催しと言うより、親子みんなが大はしゃぎして感動するイベントと言った方が適切であろう。
<母親たちは何週間も前から催しに使うコスプレ衣装を用意し、バンドを組んだり、ダンスを練習したりする。当日ステージに立った母親たちがカツラと衣装に身を包んで踊り出すと父親と子供たちもジュースやビールを持ったまま踊りだす。>
<途中で土砂降りの雨が降っても、親子はずぶ濡れになっても歓声を上げ、弾けんばかりの笑顔でアンコールを続ける。>まさしくこれは保護者と子供と園が一体であることを端的に象徴している。保護者も第二の青春を楽しんでいるようだ。
子育て=苦労が絶えない、という発想ではなく、子育てを通じて自らの第二の青春を謳歌しながら、園との強いつながり、保護者同士の強いつながり、地域社会のつながりを強めていく。その中心に「やまなみこども園」がある。
こういう園で育った子供たちは、人生で最も大切な「生きる力」を自然に身に着けているのではないだろうか。「やまなみこども園」の在り方に、子育てとは何か、教育とは何かを再考させられる記事であった。
2024年01月