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 「煙石博氏冤罪事件2」         バックナンバー

 先日TV番組「アンビリーバボー」で煙石博冤罪事件を取り上げていた。私のこのコラムでも2016年1月に、彼の息子さんが淳風塾の卒業生というのもあって、その事件について取り上げた。通常1日に2桁のアクセス数しかないのに、「アンビリーバブル」の放送後に何と1日で6000を超えるアクセス数があったことに驚いた。

 二審の裁判の判決文が出た直後、卒業生である息子さんが塾に来た。
私は二審の判決文を読んで、その杜撰さを指摘した。そのとき物事の本質をごまかすやり方の代表的な一つが、起こったことの順序を入れ替えることだと教えた。ヘーゲルの弁証法がその代表的な一つである。

 数日後、
判決文から事件の順序を数秒ごとに並び替えた「このコラム」を彼に読んでもらった。彼は私の提案を受けて1秒ごとに膨大な量の写真を打ち出した。これが煙石氏の無罪の大きな理由となったようだ。私は彼の無罪の一助となったことを嬉しく思っている。

 ところが、
ネットで煙石博を検索すると、多くの文章が掲載されていた。その中に私のコラムを無断引用しているものがいくつかあった。引用されるのは何ともないが、引用した出典を明らかにしていない。まるで自分が思いついた文でもあるかのような書き方だった。拙い文ではあるが、無断引用はやはりルール違反では?引用するなら出典を明確にして欲しい

 ここに今一度煙石博氏の冤罪事件について再掲載します。

 2016年1月「煙石博氏冤罪事件」
 
電車内での痴漢の摘発が十数年前と比べると多くなったように思う。以前は発覚時の恥ずかしさ、裁判での恥ずかしさから泣き寝入りする女性も多かったのだろう。しかし、今ではそのハードルが下がって、女性の泣き寝入りが少なくなったのではないか。

 それを可能にしたのは、
痴漢を許さない社会的な風土の醸成と警察の努力、検察の努力があったろうと推測される。それは女性にとって、生きやすい世の中になったのではないかと思われる。

 
一方ではその負の面も指摘せざるを得ない。無実の男性を「罠にかける」事件も起きている。冤罪を立証するには、時間とお金をかけて晴らさなくてはならない。会社勤めの者は会社で白い目で見られ、近所でも白い目で見られ続ける。たとえ冤罪を晴らしても元の職場に復帰できない方もいるのではないだろうか。

 
痴漢だけに冤罪は留まらない。私が今も印象に深い冤罪は、高知県で起きたマイクロバスに白バイが衝突した事件である。マスコミ報道で見る限り、止まっているバスに白バイが衝突した事故である。

 バスに乗っていた子どもたちだけでなく、
同乗していた元校長先生まで、「止まっていたこと」を証言したが、それは証言として認められず、近くを通りかかったパトカーの証言が正しいものとして裁判で採用された。その結果、バスの運転手は交通刑務所に収容されたのである。

 また、
労働厚生省の女性の役人が逮捕された事件は、多くの人がご存じだろう。明らかに検事が描いたストーリー通りに、証拠を集めるだけでなく、一部の証拠はメイキングされていた。幸いにも彼女は無罪となった。

 こういう事件は、私たちの想像以上に多いのではないかと思われてならない。警察と検事の一部には、自分たちで描いたストーリー通りに証拠を集め、それに反する証拠は無視する姿勢があるのではないだろうか?
悪質な場合は証拠をメイキングする場合もある。

 裁判官は検事の言い分を全面的に信用し、それを判決の理由に生かすという姿勢が強くあるように思われてならない。
起訴されれば99.9%以上が有罪になる日本の裁判は、どこか非民主的な側面があるのではないか。

 特に一審で有罪になれば、二審ではほとんど証拠を洗い直すことなく、そのまま通るようだ。前述の高知の事故でも同じような状況だったと聞く。

 
冤罪は私には遠いものと感じていた。しかし、実は身近な事件が起きた。卒業生の煙石君のお父さん(煙石博氏)に関する事件である。彼は広島では有名なアナウンサーだった。その彼が銀行で、置き忘れていた被害者とされる女性の66600円入りの封筒から、支払いの振込用紙を除いて、現金だけを抜き取ったと検察が主張する事件である。

 その
証拠として検察が出した防犯カメラには、中を抜き取っている姿は映っていない。さらに元々封筒の中に現金が入っていたという確たる証拠もない。被害者とその母親の証言だけである。お父さんは退職金のうちから500万円を引き出すために銀行に行っていた。裁判ではそれを指摘していない。むしろ、わざと判決文から避けているようにも感じる。判決文の主要な個所を時間経過の順に並び替えると以下となる。(2012年9月24日月曜日)

① 9時20分44秒頃から22分04秒まで、被告人は記帳台の上で作業をして    いた
② 9時22分07秒、被告人は右手を伸ばして記帳台にあった白い物体をつかみ    持ち去る
 被害者の白い物体とほぼ同じ形状であった(つまり明確には分からない)
 ロビーの発券機で番号表を取る。そのとき白い物体の下に手は隠れている。
③ 9時22分30秒頃被告人は右手をズボンのポケットに手を入れる。ATMコー    ナーで記帳。
 9時22分36秒左手に掴んだ小さな物体を着ていたシャツの左胸付近に接触さ    せる
④ 9時22分59秒ロビーに戻り行員に何かを手渡している(白い封筒は被告人の    手にはない)
⑤ 9時23分49秒記帳台に近付き24分01秒まで記帳台の上に右手を上に置  いて立っていた(白い封筒を持っていたかどうかは確認できない)
⑥ 9時36分10秒頃、銀行員が封筒の置き忘れに気付く。中にあったのは振込  用紙2枚だけ。66600円の現金はなかった。
 
 
以上の行動は1秒ごとに、不鮮明ながらも防犯カメラに残っている。ただ、カメラの死角はある。

 
警察のストーリーは以下である。被害者の置き忘れた現金と振込用紙の入った封筒を、右手を伸ばして取り、それをどこかに隠した。そして防犯カメラの死角に入って、現金66600円だけを抜き盗った。その後封筒だけをきれいに折りたたんで、振込用紙は折りたたまず、元の置き忘れていた場所に戻した。

 
封筒を取ったとされるカメラの映像もない。逆に煙石博氏は不鮮明な防犯カメラの映像を鑑定してもらった。お願いした鑑定人は捜査機関の鑑定嘱託だけでなく、裁判所、弁護士からも鑑定嘱託も受託する公平な立場の鑑定人である。これは証拠として採用された。鑑定結果によれば、置き忘れた被害者と煙石博氏の手との重なる位置はない。つまり封筒に触れてないことになる。現金を抜き取っている画像もない。検察の指摘通りなら封筒に指紋が残るはずであるが、それもない。

 
物事は単純化してみればよくわかる。決定的証拠もなく、普通に考えれば公判の維持さえ難しく、起訴しないレベルの事件である。さらに封筒内に入っていたとされる客観的証拠は何もない。裁判官の推論だけである。

 また、
ストーリーも噴き出すような無茶苦茶なものである。封筒から現金だけを抜き取り、丁寧にも中に入っていた振込用紙には折り目を付けないように扱い、封筒だけを三つ折りして、元の位置に戻したとは!防犯カメラが設置されている銀行内で、しかも周りには煙石さんを良く知っている知人、友人のいる中で…。
 
 
民主主義の原則は、証拠がなければ無罪である。法治国家のイロハである。それにしてもこれで有罪になるとは!これに関わった刑事、検事、裁判官は、本当に煙石さんが盗ったと現在も思っているのだろうか?事実が明確になるに従って、心の痛みを感じているように思えてならない。また、心ある多くの刑事、検察、裁判官は司法制度の信頼を揺るがしかねないこの裁判を、苦虫を噛む思いをしているに違いない。もちろん、司法の最後の砦である最高裁が無罪である判決を出してくれることを信じてやまない。


2024年07月