「アナタは良い保護者?それとも…」 バックナンバー
保護者の子供への接し方によって子供の伸びは大きく変わる。おそらく多くの保護者はそのことをご存じであろう。
保護者が子供に期待するのは当然で論を待たない。その期待に子供が十分応えている場合は何の問題もない。しかし、全面的に応えていないと思われる場合が圧倒的である。
その原因は単一ではなく多様に存在するが、大別すると2つである。第一は保護者から見て子供が努力を怠っている場合である。保護者の立場から言えば、ほとんどの保護者が感じているであろうと思われる。
もう一つは保護者の過剰期待である。生徒の立場からはそのように見えるのではないだろうか?同じ状況でも立場を変えればまったく違う景色に見えるということである。
第三者である塾教師から見ればいずれも間違ってはいない。つまりどちらにもそれぞれの理屈が存在する。保護者が仕事から帰ってくると、子供はスマホで遊んでいる。この場合学校から帰ってからずっと遊んでいたとしか保護者には見えない。
生徒からすれば学校で勉強してきたので、頭を休めているのである。保護者も会社で仕事をして帰ってもすぐに仕事を家にまで持って帰ってはやらない。それと同じ論理である。
ところで、時代によって人の評価基準が異なる。極端な例を挙げれば戦国時代は戦いに強いものが評価された。現代では学校時代は勉強ができることが高く評価される。なぜなら勉強ができる方が将来的に職業選択の幅が広がり、より多くの収入を得られる確率が高いからである。
学力向上の期待に応えて生徒の学力が上がると、保護者の期待はそこからどれだけ上がるかに変わる。例えば数学ができるようになれば、今度は英語、次は国語、さらに理科、社会へとその期待は限りない。つまりゴールがどんどん変わるのである。
その変わったゴールで子供への要求するのであるから、子供からすればキリのないニーズに応えなければならないことになる。逆に言えばゴールのないゴールを目指さなければならないことになる。
期待に沿えない時に保護者の最悪の言動がある。それは「塾を辞めさせるよ!」である。子供が楽しく学んでいる現実ではなく、自分の期待通りにならないことに怒りをぶつけてるだけなのだ。
一度や二度なら子供も期待に沿うべく、いくらかのアクションを起こすだろうが、何度も何度も言われると最後には嫌気がさす。「じゃ、やめる!」となる。淳風塾では怠けていても力ずくで覚えさせているが、それがなくなれば下がるのは自明の理である。淳風塾を辞めて成績が上がった例を私は知らない。(辞めた生徒の友達から情報が入る)
保護者が中学生の時に通っていた淳風塾を途中で辞めた。しかし、自分自身は辞めたにも関わらず、わが子を淳風塾に通わせている保護者もいる。「あのときやめなければ良かった」と、その人たちの決まったセリフである。辞めた後、学力が下がった実感がそう言わしめているのであろう。
こういう場合もある。生徒が遅刻をしたり、宿題をしてない場合は保護者に連絡をするのが淳風塾である。この連絡に対して真摯に対応する保護者と、いかにも面倒だという正反対の反応をする保護者がいる。
真摯に向き合う保護者には何か起こるたびに細かく連絡をするが、そうでない保護者には連絡することを躊躇する。なぜなら連絡をして欲しくないように感じるからである。どちらが子供を伸ばすかは自明であろう。
子供に期待するのは保護者として当然である。しかし、過剰な期待は保護者と子供とのいびつな関係を生じかねない。子供を伸ばすにはまず保護者が変わることが重要な要素である。
2023年12月