公立高校入試の影響 バックナンバー
公立高校入試が大きく変わることを先月、先々月このコラムで書いた。新中2の生徒から劇的に変わる。変わる内容を簡潔にまとめると以下となる。
1 第一次選抜(いわゆる推薦入試)を廃止する。
2 内申点の割合が約50%(半分)であったのを20%に減らす。
3 入試の割合が約50%(半分)の割合であったのを60%に増やす。
4 新たに自己表現を加えて、その割合を20%にする。
今月は前回、前々回とはまったく異なった視点で捉えてみたい。ところで、そもそも高校入試の合否は誰が決定すべきであろうか?間髪を入れず「受験する高校の教師」との答えが返って来るに違いない。
それぞれの高校が、それぞれの目指している教育と人材育成に合致する生徒を募集し、それに該当する生徒を受け入れる(合格させる)のが本来の在り方である。しかし、昨今の入試はそれとは大きく乖離している。内申点の割合が約50%ということは、中学校側に高校入試の約半分の権利を握られることになる。
中学校の提出する内申書は、その生徒の学力、性格、学習態度などを高校側に伝え、高校側の求める生徒であるかどうかを判断するための一要素に過ぎない。それが本来的な内申書位置づけである。
ところが、現実はあるべき姿とは程遠い。誤解を招くことを恐れずに言えば、中学校の教師の一部には、内申点をちらつかせ生徒管理に利用していた教師もいると思われる。実際、「内申点が怖いから先生に逆らえない」と口にする生徒は多い。今回の改正は、ある面においては、個性的な生徒には有利にはたらくのではないかと思われる。
私は企業で働いた十年の経験があるが、幸せなことに社内外のいくつもの研修を受けさせてもらった。その時受けた研修の一つで、あるコンサルタントの「日本人は自ら発言しない人が多い。しかし、指名するとズバリ核心を突く発言をする」との言葉が強く印象に残っている。何十年も昔のことではあるが、その頃から日本人の体質は大きく変わっていない。
国際化の進んだ現代において、より積極的な人材の育成が急務である。中学校時代から内申点を恐れて教師の顔色を窺(うかが)わなければ損をするシステムの変更は至極当然である。
20点満点となっている「自己表現は、『自己を認識し、自分の人生を選択し、表現することができる力』」が、どのくらい身についているのかを見る」ために、面談方式で実施するという。
口にすれば簡単なようだが、これらは一朝一夕に身に付くものではない。これは広義にとらえれば「問題意識」であり、「表現力の向上」だからである。普段の生活の中で何も考えていない生徒が、面接だけうまく切り抜けられるものではない。
さらに高校入試の「考える問題重視」の傾向と相まって、普段の生活の中でも常に問題意識をもって生きることが大切になるのではないか。それは単なる高校入試のためというだけでなく、自分らしい人生を送るためにも大きな意味を持つだろう。
広島県の公立高校入試の改革は、中学校の教育現場に大きな「つぶて」を投げかけた。これにより、中間テスト、期末テストの廃止の学校も出ている。単元別テストがその役割の一端を担うことになろうが、果たして客観的な評価の担保となるであろうか?私は、はなはだ疑問に思っている。
学校が試行錯誤をするように、塾とて決して無関係ではいられない。淳風塾もすでに「自己表現」のための新しいシステムを実行している。
2021年05月