入試制度改正の狙い バックナンバー
公立高校入試が大きく変わることを先月のこのコラムで書いた。新中2の生徒から劇的に変わる。変わる内容を簡潔にまとめると以下となる。
1 第一次選抜(いわゆる推薦入試)を廃止する。
2 内申点の割合が約50%(半分)であったのを20%に減らす。
3 入試の割合が約50%(半分)の割合であったのを60%に増やす。
4 新たに自己表現を加えて、その割合を20%にする。
このシステムをどこかで見たことはないだろうか?大手企業の採用試験そのものである。大手企業に入るには一次試験が入社試験。二次試験は提出したエントリーシート(履歴書)に基づいての面接試験。さらに大学から提出される内申書。それらの総合によって決定されるのが入社の採用試験である。広島県の高校入試は、まさしく就職試験そのものではないか。
今回の改正はマクロで捉えると、一つは内申点のウエイトを下げ、実力重視に舵を切ったと言えるだろう。もう一つは自己表現という名前ではあるが、その狙いは問題意識とそれを表現できる人材育成を目指していると思われる。
その狙いは決して間違ってはいない。普段の努力(内申点)より実力重視(入試得点)は経過より結果重視の方向性を示している。しかも広島の公立高校入試問題は、全国的に見てもかなり難易度の高いレベルである。単に詰め込み知識の羅列だけでは決して解けるものではない。それらを参考資料を咀嚼して組み立てられる思考力が試される問題となっている。
覚えるべき知識と思考力は相反する命題のようだが、極論すれば知識がなければ論理の展開はできない。確かに知識はあるが、それを使えない大人も多くいる。「学びて思わざれば即ちくらし」では生きた知識とはならない。単なる物知りに過ぎないのだ。逆に「思いて学ばざれば即ち危し」でも正しい判断はできないのである。
さらに言えば、一定の知識と論理の組み立てができても、それらを生かすためには問題意識と、それを伝えるべき伝達能力が必要であることは論を待たない。そのため自己表現という名で、それらの総合力を持つ人材の育成が目的であろうことは間違いない。
自己表現力とは最終的には問題意識ではないかと私は思う。己を表現するのにどんなに美辞麗句を並べても、問題意識がなければ薄っぺらさを相手が感じるだけである。「巧言令色仁少なし」という孔子の言葉もある。
今回の高校入試の改正に対して、どのように受験生は対処しなければならないだろうか?多くの生徒・保護者の関心事はそれに尽きるであろうと思われる。
その答えは明確である。知識を単に覚えるのではなく、常に多面的にそれを理解する必要があるということだ。例えば、日清戦争を覚えるとき、その戦争の遠因と直接的な原因、戦争の結果を一連のできごととしてとらえる物の見方の必要性である。
それはそれぞれの科目にだけ当てはまるものではない。日常の生活の中で何事も考える癖をつけることが肝要である。例えば中1になったら何を頑張るのか、具体的な目標を定め、その結果を評価し、結果の原因を考えることが自然にできる習慣を身に付けることである。これこそ、これからの時代を生き抜くためにも子供たちが学ばねばならないことである。
グローバル化の中で勝ち抜くには、そういう人材が必要であることは間違いない。広島の入試制度の改革は、大学入試の改革に先んじたものではあるが、将来の日本を背負って立つ人材がどういうものであるかの明示であろうと私は認識している。
注:淳風塾では今年からその一助となる手法を導入予定である。
2021年04月