日本昔話の読み聞かせ バックナンバー
三歳前の孫に「おむすびころりん」の絵本を読むのが、彼が我が家に来た時の私の日課になっている。彼は我が家に来るとすぐに「おむすびころりん」を私のところに持ってくる。
実は娘が赤ちゃんのときも、ずっと「おむすびころりん」を読み聞かせていた。妻の父親からは「そんな話などまだまだ分かるわけがない」と笑われたが、何度も何度も読み聞かせたものだ。
日本の昔話には知らず知らずのうちに身につく教訓がある。大きくなって身につけようとしても、なかなか容易に身につくものではない。しかし、幼いときに自然と身につけた感性は深くその人間の心に残るものだ。
おそらく多くの人が聞いたことのある話であるが、あらすじは以下である。何種類も出版されているので本によってはストーリーが多少変わる。
おじいさんが山に芝刈りに行き、お昼におむすびをたべようとしたところ、おむすびが転がって穴の中に落ちてしまいました。そのとき穴の中から可愛い歌声が聞こえてきました。「おむすびころりん すっとんとん。もひとつ食べたいすっとんとん」。
おじいさんはうれしくなって、おむすびをみーんな穴の中に落としました。ついにはおじいさんも穴の中に落ちてしまいました。するとそこにはたくさんのネズミが居て、おじいさんにご馳走してくれました。
おじいさんが帰るときには、大きいつづらと小さいつづらを用意してくれました。小さいつづらを貰って家に帰って、おばあさんとそのつづらを開けると、たくさんの小判が入っていました。(打ち出の小づちをもらったというストーリーも)
それを聞きつけた隣の欲張りおじいさんは、おむすびを持って山に行って、おむすびをわざと穴に投げ入れ、自分も穴に中に飛び込みました。帰るときにはお土産を要求しました。大きいつづらと小さいつづらをネズミたちは用意しました。
欲張りなおじいさんは両方持って帰ろうと、ネズミの大嫌いな猫の鳴き声の真似をしました。すると辺りは暗くなり、欲張りじいさんは迷いに迷って穴から出られなくなりモグラになりました。(ネズミに反撃されたというストーリーも)
私が読み聞かせているときに、孫の表情はさまざまに変わる。おじいさんが穴の中を覗いているときには片目になっている。欲張りおじいさんが猫の鳴き声をまねるときには、驚いた表情になっている。彼は話の中に入り込んでいるのだ。幼い時の読み聞かせによって感情豊かに育ってくれるのではないかとの期待もある。
また、前述のようにこの昔話にはいくつかの教訓がある。第一に、ネズミという自分より小さいもの(弱いもの)を大切にするという思いやり、謙虚な気持ちの大切さである。第二に強欲は結局得る物はないという教訓もある。その例として大きいつづら、小さいつづらの話も他の日本昔話にも多用されている。
学校におけるイジメ問題の根も、幼い時の育て方にあるのではないか?弱者への思いやりの欠如と、自分さえ良ければいいという考え方がその背景にあるように思えてならない。感受性豊かに育つにはその環境が必要だろう。
一定の年齢になって「弱いものをイジメてはいけない!」と何度も繰り返し諭そうとも、なかなか身につくものではない。そう言えば身も蓋もないことになるが、私の言いたいことは百の理屈ではない。思いやりのある優しい子に育って欲しいという気持ちで彼に読んでいるのに過ぎない。また、幼いときから本に触れることによって、本の好きな子に育って欲しいとも願っている。
本から学ぶことは大きい。単に知識だけでなく、先人の書いた本に触れることによって、自分自身の生き方に大きな影響を受けることもある。たとえ直接的に役に立たなくても豊かな気持ちにさせてくれる。新型コロナでステイホームを余儀なくされている昨今、日本昔話を1日に10分間子供に読み聞かせるのも、彼らの今後の長い人生に生きてくると思うが、どうだろう?
2020年05月