「売り手市場の就職戦線に注意」 バックナンバー
今年の就職前線は有効求人倍率が1を越えており、明らかに売り手市場である。そのため今年卒業する人たちにとって、極めて有利な状況がある。10数年前の就職の冬の時代とは雲泥の差といえる。
就職の冬の時代だった人たちも、今や40歳前後になっている。余程の状況変化がない限り、彼らは売り手市場でも正社員になるのは困難だろう。そして、30年後には彼らは高齢者になり、社会的なコスト(生活保護費など)は格段に跳ね上がるだろうことは、容易に想像できる。
失われた20年の社会的代償は極めて大きい。それは他人事ではなく、すべての国民に税という形で跳ね返ってくる。そう考えると、この1,2年の就職に有利な状況はマクロで捉えると歓迎すべきと言えるだろう。
だが、決して歓迎すべき時代であると手放しで喜べない側面もある。この売り手市場ゆえに、20年後に悲しい結果を生む原因となるかもしれないのだ。
どういうことか。売り手市場では、本人の持っている能力以上の企業に入れることもある。つまり、企業の求める人材と本人の能力とのミスマッチが生じる確率が高いのである。
特に現在は「悪しき平等」が蔓延し、子どもへの教育・躾において、競争が「いかにも悪」であるかのような社会的見方がある。また、過剰に「褒めて育てる」ことが正義のごとき社会的見方もある。
しかし、企業に入れば、そういう甘い認識を一変せざるを得ない状況が待っている。企業は利益を上げることが目的であり、競争が基本である。資本主義社会とは競争社会である。
厳しく指摘された経験も少なく、学生時代の最も厳しい競争と言えば、せいぜい大学入試であろう。しかし、大学入試でさえ、偏差値フリーの大学も少なくない現在においては、厳しい競争原理の中でもまれる機会も減っている。そういう社会においては、子どもたちは温室の中で育てられているようなものだ。
それぞれの企業には、その中で生き残るための知識、能力、精神力が必要である。自分の持つ知識、能力以上の企業に採用されるのは、本人だけでなく、家族も極めて喜ばしい出来事に違いない。しかし、その企業で何年か経るにつれて、企業の必要な能力と自分の能力とのギャップに気づく場合も多々見られるだろう。
若い時には、そのフットワークの軽さで対応できても、40前後になると、フットワークの軽さだけでは対応できない社会的立場になる。厳しい環境で育っていないからこそ、本人にとっては、それが重圧になることもある。
本人の認識レベルだけではない。企業は利益を上げるためには極めてシビアである。そうしなければ企業自体が生き残れないからである。そのため企業にとって必要でない人材だと判定すれば、リストラをすることも厭わない。
「寄らば大樹の陰」-日本では大きい会社に入ることが「善」である-という風潮がある。だが、大きい企業ほどより高い能力が必要である。しかし、たとえ「寄らば大樹の陰」に入れたとしても、その企業が長く「安定している」との保証はまったくない。
安定した企業であると思われていた銀行でさえ、想像以上の速さで従業員数を減らす状況が生まれている。企業の在り方と社会的位置づけは、常に変貌し続けているのである。「大学生が働きたい企業」の10年前と現在のそれをネットで調べるとそれが明確だろう。
自分は何をしたいのか?どんな仕事なら続けられるのか、自分を生かせる企業規模はどの程度かなど、自分をしっかり見つめ、世間の評価に流されることなく、会社選択をして欲しい。そして、有効求人倍率が高い条件をしっかり生かして欲しいものだ。
2018年11月