「日大アメフトタックル事件」 バックナンバー
いま盛んにマスコミを賑わせている話題は「日大アメフトタックル事件」だろう。現在の関心の中心は単なるスポーツ指導の在り方から、日大の在り方に移っている。さらに今後は刑事事件としての様相を呈することになるだろう。
それらはマスコミの得意とする分野である。今回も文春砲が5月31日号、6月7日号で炸裂している。文春の今までのパターンを考えると、第一弾で衝撃を与え、第二弾で追い打ちをかけ、第三弾でとどめを刺す。
そういう事件性、話題性?も私の関心事ではあるが、塾をやっている者にとってはもっと別な面に関心がいってしまうのだ。つまり、日大のアメフト部を希望する生徒の激減だけでなく、日大そのものの希望者が激減するのではないか。
さまざまな表現はあるだろうが、どの学校法人においても、その基本方針は学生の独立の精神を養い、自主性を育てることであろう。アメフト部における事件から垣間見えるのは、日大の現実の指導の在り方は、むしろ真逆のかつての軍隊のようではないかとさえ思わせる。
特に若者は世間体、換言すれば世の中の評価、が低くなっている大学を目指したいとは感じないだろう。これが2、30年昔なら、「どの組織でも、一部ではそういうこともある」という、いわば大らかな見方もされていただろう。しかし、マスコミが事細かく内容を暴露する現状においては、その組織の体質まで暴露される。そして一気にイメージが壊れるのである。
なかんずく日大の「危機管理学科」は、希望者が一気に減ることが強く予想される。危機管理学科が最近できたとは、まるでブラックユーモアである。監督、コーチの指示は、そういう気概で立ち向かえだったが、学生がそれを正しく理解しなかった、との言い逃れは、見苦しい以外に言いようがない。
タックルをした学生の記者会見の態度・表情から、ほとんどの視聴者が、彼の言が真実であろうと感じたと思われる。それに反して、監督、コーチの態度・表情は、いかにも言い訳がましく感じたのではないだろうか?学生を守らず、自分たちをいかに守るかしか、頭の中にはないようさえ感じてしまう。
それだけではない。あの監督、コーチの記者会見の司会者の姿は、危機管理とはさらに程遠い。むしろ、火に油を注いでいるようだ。その姿勢の背後に、何らかの力-現在の体制を守ろうとする強い力-を感じてしまうのだ。
日大は日本最大のマンモス大学である。その卒業生の数は他大学を圧倒している。日本の卒業大学別の社長の数は、日大が最も多いとのデータもあるようだ。少子化によって、学生数が激減している現在、受験生の減少は経営の根幹にかかわる。
どんな大企業でも一歩かじ取りを間違えれば、一気にその存続が危うくなる時代である。大学とてその例外ではない。「非は非として早期に認め、犯罪的タックルを犯した学生を守る姿勢」こそ、日大が取り組まなければならない課題だろう。それこそまさしく危機管理の基本ではないだろうか。日本の教育界に多大な功績を残している日大。今こそ、その真価が問われている。
2018年06月