「スマホ依存症は危ない!」 バックナンバー
先日ファミレスで食事をしていると、私の席の斜め向こうに三十代くらいの母親と小学生の親子と思われる二人が座っていた。何気なく見ていると母親はずっとスマホをいじっていて、息子の方はゲームに夢中であった。
お互いにまったく目を合わせることもなく、その存在がまるでないかのように自分の世界に浸っている。ホール担当の女性が注文の品を持ってきても、自分の注文したものをさりげなく食べながら、スマホとゲームに熱中。
別のところでも同じような光景を見たことがある。父親と息子がイタリア料理店に来ていた。父親はずっとスマホをいじっている。ゲーム機も何も持っていない子どもは手持ち無沙汰なのだろう、テーブルを撫でたり、テーブルの上のメニューなどを何度も見たり、周りを見渡したりしている。父親はまったくそれが目に入らない。自分のスマホの世界に入り込んでいる。
こういう光景は親子だけでなく、友達同士で食事をしても同様である。最近アチコチで見受けられるようになった。親子の風景だけが特別なものでないようだ。
友達同士-女同士あるいは男女-食事に来ていても、ほとんど会話がなく、お互いにスマホに触れている。目の前にいるリアルな関係より、スマホを通した関係を好むのだろうか?それならなぜ食事を一緒にするのだろう。一人で外食しながらスマホをいじっていれば良いと思うのだが…。
道路を歩いていても、自転車に乗っていてもスマホを操作しながら進んでいる人を見かけるのは日常の光景である。危険だとは思わないのだろうか?歩きながらは老若男女に関係ないようだ。さすがに自転車をこぎながらは若い人に多い。
さらには車の運転をしながらスマホを操作している人もいる。前を走っている車に、何となく不安を感じていると、スマホを操作しているではないか。これもまた日常の光景となった。本人は「自分だけは大丈夫!」と信じているのだろうが、まったく根拠のない自信である。
さらに恐るべきは高速道路でスマホを操作しながら運転している人もいる。それほど緊急を要する連絡事項があるのだろうか?死亡事故でも起こせば、本人だけでなく被害者の人生を奪うことになる。
携帯・スマホは実に便利なツールである。しかし、その使い方を誤ると自分の人生だけでなく、他人の人生もその家族までも巻き添えにすることになる。常にスマホに触っていなければならないほど、重要な仕事、連絡すべきことがあるとは思えない。むしろ時間つぶしから始まって、どんどんエスカレートし、スマホ依存症とでも言える状況に陥っているのではないだろうか?
スマホの世界にどっぷり浸かっている人が信じられないほど増えている。親子の会話よりスマホを優先させる生活は、子どもの成長にとって良い影響があるとは思われない。子どもたちは親とか周りの人たちと接し、彼らから自然に多くのことを学ぶ。
机に向かう勉強だけが勉強ではない。むしろ、リアルに周りから学ぶことが今後の人生にとってより大きな影響を受ける。またそれがバックボーンとなり、勉強にも反映する。さらには肉親からのたっぷり愛情を受けることによって、豊かな人間性を育む。友人関係においても、直接会話をすることにより、相手の息遣い、微妙な心の変化を感じるものだ。
スマホは便利なグッズである。しかし、それによって逆に人間の持つ良さが消えたり、自分だけでなく、周りの人の身を危険にさらされるツールでもある。スマホ依存は自分だけでなく周りの人の心と身体を危険にさらす。もはや自覚を促すレベルの問題ではない。法的な規制があるが、より厳しい法的な規制が必要な時代になっているように思われてならない。
2016年07月