時代とともに美人の基準は変わる。
現在の美人は、次の時代は美人でない?
では、平安時代の美人はどういうタイプだったろう?私の知っている限りにおいては、歴史の教科書にも載っているようなふっくらタイプである。もっと具体的に言えば、目が細くて、口が小さくて、身体つきはふっくらしていることが、当時の美人の条件であった。加えて、この時代は長い黒髪が美人の絶対条件であったようだ。
現代の日本の美人の条件は、それとまるで逆である。目が大きくて、口が大きくて、ほっそりとしている。長い黒髪など条件のかけらにも入らない?美人の条件はその時代、時代によって、さらに社会的な背景によって大きく変わるようである。
平安時代においては貴族とそれ以外の人たちには生活において大きな格差があった。豊かな生活を送る一部の貴族と貧しい生活を余儀なくされる農民たち。つまり、ふっくらとしていることは豊かな生活を送る人たち=高貴な方ということも表している。
従って、高貴な女性—ふっくらとした女性—は男性の憧れであったのではないか?それが美人の一つの条件にもなったのではないか?と想像される。
これに対して、現代の日本は飽食の時代である。ともすれば、肥満になりがちな社会である。痩せるためにお金を使う時代でもある。そのために、痩身が「美人の要件」であるような傾向があるようだ。それは男性より女性自身でそう思い込む傾向が強いように思われる。
「あなたは痩せていますか?標準ですか?それとも太っていますか?」と質問すると、おそらく6割を越える女性が「太っている」と答えるに違いない。(そういう類の統計をどこかで目にしたことがある)
肥満体型が6割以上もいるということは、それは多数を示し、統計上それが標準ということになる。逆説的に言えば、彼らこそ標準体型であるという証拠でもある。しかし、女性自身は自ら「太っている」と感じている。
これは痩身が美人の基準であり、「細めになりたい!」という願望の裏返しでもある。そのため、客観的に見れば、どう見ても太っていない人までダイエットを望んでいることになる。
実際、ダイエットの流行の時代である。ネコも杓子もダイエットに走っている。そして、さまざまなダイエットグッズ(ダイエット用食べ物からダイエット用器具に至るまで)が連日テレビ、雑誌をにぎわしている。
しかし、冷静に見れば、肥えるとは「食べた量から消費した量の差」である。食べるものを食べたいだけ食べて、運動もロクにしないで痩せることは決してない。
「そんなに食べてないのに…」という言い訳を良く聞くが、食べたものを毎日メモに残すと本人が感じる以上に食べているはずである。また、動く量も本人の想像以上に少ないはずである。
何事も努力しないで、お手軽に成し遂げられることは決してない。勉強もまったく同じである。お手軽にグングン上がることはあり得ない。淳風塾の生徒が上がっているのは、塾のシステムを生徒たちが真面目にコツコツ取り組んでいるからである。ン?
2007年10月