塾は何のためにある? バックナンバー
なぜ塾に通わせるのか?この問いの答えは明白である。子どもに学力を付けさせるためである。 その検証を保護者はどのようにしているのだろうか?
「得点が上がった」「順位が上がった」「子どもの意欲が変わった」がその最も大きい基準だろう。 しかし、その基準ではなく、別の基準で塾を評価している保護者も意外に多いような気がしてならない。
「宿題が多くて子どもが机に付いている」から安心。こういう保護者は多いのではないだろうか?宿題の内容もいろいろある。ボリュームもいろいろ。出し方もいろいろ。内容もいろいろ。もちろん、保護者がそれらの内容の良し悪しを吟味することは困難である。
とにかく机についておれば安心する保護者が多いことに愕然(がくぜん)とさせられることもある。「先生、宿題をたくさん出して下さい」、と言われることが多々あるからだ。
宿題を出せば、「解説と称するその答え合わせ」になる。答えをどんどんホワイトボードに書いては消しのパターンにならざるを得ない。多ければ多いほどその傾向は強くなる。これで「上がる生徒」もいる。しかし、私の30年を越える経験では、その割合は決して高くない。
保護者はその結果で検証する必要がある。「我が子がその方法で結果がでたかどうか」である。万一、結果が出ていなければ、その手段は「我が子」にとって、効果的でないことになる。素朴に結果を見れば明々白々である。
しかし、「宿題が多いこと」が第一義的な目的と勘違いしているのではないかと思われる節もある。「あれだけやったのだから…」と諦める場合もあるようだ。中3になって淳風塾に駆け込んでくる方に多い、一つのパターンである。
もちろん、学力はすぐに付くものではなく、その子、その子によって大きく異なる。持って生まれた素質、現状の基礎力、性格、友人関係、家庭環境など、その要因は多岐に渡る。ただ、言えることは、範囲の限られた定期試験はともかく、実力が付くのは最低でも4,5ヶ月はかかる。逆に下がるのは2ヶ月もあれば十分?である。
また、得点、順位は無限に上がるものではない。「無限に伸びる」とは、その個々人において、昨日の、1ヶ月前の、1年前の、10年前のその子とは伸びるということである。会社では誰もが課長、部長になれないように、スポーツでは誰もがレギュラーになれないように、すべての生徒が得点、順位が上がり続けるものではない。実際、一気に上がった生徒は、それを維持するのさえ苦しい場合もある。
友達と机を並べて毎日勉強していると「あの子には勝てる。あの子には勝てない」は分かる。保護者の職場での場合とまったく同じである。
「お母さんは、ボクが机についていると安心する。あいうえお、あいうえおと書いていても喜ぶ」と言った生徒もいる。ここまでいくと、机についていることが目的のようだ。実際どのような内容の勉強をやっているか、保護者には分からないという事情もある。
しかし、前述のように結果を素朴に見れば、それが効果的かどうかは明確にわかることである。厳しい言い方をすれば、「保護者のイライラ解消」が目的ではないか、とさえ感じられることがある。
「お宅のお子さんは上がります。大丈夫です」。という塾の言葉に安心する保護者もいる。トークが得意で、「歯の浮くような美辞麗句」を並べる塾も、決して皆無ではない。それをまた、真に受ける保護者もいる。だが、結果はウソをつかない。
学年末試験も終わり、そろそろ結果が出始める時期である。「補習と称した自習」がたっぷりあった生徒もいるに違いない。
彼らは塾で一体どのようにしていただろう。塾でオシャベリばかりをしていた生徒はいなかっただろうか?結果は決してウソをつかない。
2013年02月