混迷する政局を思う バックナンバー
民主主義の根本原則は何だろう。現在の政治の混迷を目の当たりにすると、ふと考えさせられる。国民主権、基本的人権の尊重がその根本原則であろうか?その仕組みは突き詰めれば、立憲政治、三権分立と言えるだろう。
国民主権とは極言すれば選挙権、被選挙権に尽きる。古代ギリシャと違って、普通選挙が実施されているわが国では、最も基本的かつ最も重要な国民主権の行使は選挙である。
立候補者がマニフェストを掲げ、そのマニフェストを支持する国民がその政党に投票する。そこで勝った政党が政府を形成し、そのマニフェストの実行を果たす。 負けた政党はマニフェストが支持されなかったので、次の機会により支持されるマニフェストを掲げて戦う。たったこれだけのことである。微に入り細に入る議論をすると、何がなんだか分からなくなる。
民主党は、前回の選挙でどんなマニフェストを掲げたのかを、忘れ易い国民でも覚えているだろう。「生活第一」を掲げ、「コンクリートから人へ」。その具体策として、国の無駄遣いを止めること、八ツ場ダムの中止、有料道路の一部無償化、子ども手当ての支給、年金の一元化ではなかったのか?
ところが、現政権は、マニフェストに掲げてもなかった「増税」に必死に取り組み、マニフェストはどこかへ忘れてしまっている。言葉では「守る」と言っているが、その本心はとっくに国民に見透かされている。本当に増税が必要なら、自ら血を流さなければならないだろう。国会議員の定数の削減など、本気で取り組めば簡単なことさえ未だに手付かずのままになっている。
政党だけではない。マスコミも前回のマニフェストを忘れてしまっているように思われてならない。「マニフェストを守れ」という論調を掲げているようには到底思われない。「政局ではなく政策」と言いながら、どんな問題でも一番政局にしたがっているのは、実はマスコミではないのか。
万一、政府がマニフェストに無い「増税」を「政治生命をかけて」実施したいのなら、選挙をやり直す必要がある。ただ、前回民主党を支持した人びとは、今度は騙されないだろう。 美辞麗句を並べようとも、実行する気のないマニフェストには何の価値もない。「結婚したら、○○してあげる」という、守る気のない人の?寝物語に等しいからだ。政治家の言葉が余りにも軽すぎる。
だからと言っても、自民党に戻るとも思われない。むしろ、勝者の無い選挙になるかもしれない。流れによっては第三の華々しい?グループに一気に流れ込むことも十分考えられる。選挙が近づくに連れて国会議員も浮き足立っており、その潮流が垣間見れる。
ただ、これにも一抹の不安が残る。なぜなら、過去にも、まるで春の夜の夢のようにほんのひと時だけ爆発した政党がいくつかあったが、その後どうなったかを見てきているからである。細川政権の前後にはタケノコのように新しい政党が生まれた。しかし、今や霧消してしまっているのが脳裏をかすめる。
一体、我々国民は何を信じて選挙権を行使すればいいのだろう?民主党の迷走を日々目にするたびに「今度はどの政党に投票しようか?」と悩む昨今である。
2012年09月