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 「岩手中2イジメによる自殺事件」    バックナンバー

 また、起きてはならない「イジメによる自殺」が起きてしまった。今回の岩手中2生徒自殺事件は、学校の言いわけは通用しない。担任の先生との連絡ノートのやり取りをマスコミが報道した。死に場所まで決めているというノートの記述。決定的証拠とでも言えるだろう。

 中1の時からずっとイジメを受けていたことも分かっている。それは
単にイジメではない。暴行の類である。「話し合って解決」というレベルの問題ではない。大人の社会で同じような問題が起こると、明らかに刑事事件として取り扱う。

 
イジメという「どこか許されそうな言葉」で看過できる問題ではない。子どもだから許されることでもない。もはや「イジメ」という言葉をマスコミをはじめ、我々も「暴行」とか「恐喝」という言葉を使う時期が来ているのではないか。

 
少年を取り巻く大人たちは何をしていたのだろう。「何とか丸く収めたい」と考えていたのではないか?加害者は大人たちの対応の甘さを知っていたのだろう。毅然とした対応をして、刑事事件になっていれば、加害者も執拗に「暴行」を繰り返さない。

 被害者の少年の写真を見ると、いかにも素直で、優しい感じの子である。つい最近殺害された滋賀県の生徒もそうであった。こういう反撃しない子を狙ってやったのだろう。
加害者は、自分が「何もやられない」と知っているからこそ遊び半分で繰り返し、さらにエスカレートさせたのだろうことが想像できる。

 同じ年頃の子どもたちと接していると良く分かる。最初は遊びで「アンタ死んだら」などと口にする。何気なく口にする言葉だろう。こういう
些細なことから徐々にエスカレートする。

 こういうとき決して見逃してはならない。
大したことはないと見逃したり、相手が反撃しないと分かると、言葉から暴力へと進む。周りの大人は毅然とした態度を取ることが必要である。目の色を変えて叱れば、生徒は2度と口にしなくなる。

 
教師が妙に物分かりが良い態度を取れば、どんどんエスカレートして、最悪の場合は日常的に暴力を繰り返す結果になる。子どもたちは決して天使ではない。批判を恐れずに言えば、天使の顔をした大人である。

 新しい教師に対しては、まず様子を窺い、少しずつ「どこまで許されるか」を探る。教師が弱いと思えば、教師をなめて授業中でも私語を連発する。これが教室内に広まるといわゆる学級崩壊が生まれるのである。

 教師の暴力の原因の一つもここにある。教師が我慢に我慢を重ねて遂に切れる場合もある。このとき子どもは「自分は悪くない」という。なぜなら今まで「これくらいのことは許されている」と感じていたからである。教師の「忍耐」を理解していないのである。

 このように、
子どもたちは大人と同じように、常に周りの状況を見ながら行動している。それは企業でも弱い上司、弱い部下に接するのとまったく同じである。それは大人社会、子ども社会に関わらず、どの社会でも存在する。いわゆるパワハラである。

 
今回の事件は「単なるイジメ」ではない。明らかに犯罪である。「イジメ」という言葉を使うのを止めようではないか。犯罪である「暴行・恐喝」を使うべきだろう。そして犯罪に対しては断固として許さず、警察に訴えることが、悲しい事件を未然に防ぐ方法だと思う。


2015年07月