「高1 祖母、母殺害事件」 バックナンバー
やはり起こったか、というのが私の印象である。皆さんもご存じの「祖母、母親殺害事件」である。決して起こってはいけない事件ではあるが、いつかは起こるのではないかとずっと危惧していた。高校1年生の生徒が起こした例の事件である。
事件の真相はまだまだ分からないが、その原因は何となく想像できるようなきがする。私ごときが軽々に口を挟めるような話ではないが、この事件の背景、原因について一緒に考えたいと思う。
高校の1学期中間試験が始まるその日に起きた。高校入試まではどんなにのんびりした生徒でも内心強いプレッシャーを受けている。高校に入るとそのプレッシャーから解放される。客観的にはともかく、本人の中では控えめにしていたゲームを思い切りしたい、とずっと考えていたのだろう。
逆に、保護者の立場からすれば、高校はあくまでもプロセスに過ぎない。一般論ではあるが、希望の高校に入ったら、次はより高いレベルの大学に入って欲しいと願う。希望の高校ではない場合は、今度こそ大学入試で逆転をして欲しいと願う。親子の情として当然と言えば当然であろう。このようにして子どもと保護者の気持ちのかい離はどんどん広かる。
今回の事件はそれに加えて、母親だけでなく祖母もからんでいるようだ。これも一般論ではあるが、祖母の子どもの出来が良いと、孫にもそれを求める傾向がある。子どもと孫はまったく別人格で育つ社会環境も異なる。自分の子育ての成功体験は同じようには通用しない。しかし、その成功体験を押し付けようとする一部の祖母、祖父もいる。
そうすると、今度は祖母・祖父と母・父と子どもの三者の葛藤が生まれることになる。特に少子化の現在、たった一人か二人の子どもに、保護者とその両親四人、計六人の期待が一身に懸かることになる。
祖母(祖父)から見れば、思い通りに勉強していなければ、その子が悪いだけでなく母親(父親)の育て方が問題なのではいかと、矛先が向かうこともあろう。そういう最悪の場合にもなりかねない。
私は何度もこのコラムで申し上げている。我が子に期待するのは親として当然である。しかし、過剰な期待は子どもをだめにする。子どもは親の期待に添うように頑張るが、頑張れば頑張るほど期待は膨らみ、そのハードルが上がって行く。つまり、どんなに頑張ってもゴールの位置が変えられるので、永遠にたどり着けないゴールを目指しているようなものだ。
そのためいずれの日か必ず期待に応えられない日がやってくる。強い子どもとか、適当に聞き流す子なら問題は起こらないだろう。しかし、精神的にヤワになっている現在の子はそのプレッシャーに耐えられなくなって、精神的な病になったり、事件を起こしがちである。そうならなくても、「保護者を憎む」ようにもなる。
過去にも保護者の過剰期待から、登校拒否になった生徒、パニック障害を起こした生徒を何人か見てきた。そこまで行かなくてもチック症状の生徒は意外に多いが、保護者の大半はそれに気づかない。
そう考えると、今回の事件は氷山の一角に過ぎないのではないか。今までに起きた肉親の事件の遠因にも、親子の勉強についてのトラブルがあったのではないかと、私は考えている。
子どもは保護者の所有物ではない。一人の独立した人格を持っている。「我が子に限って!」はあり得ない。今回の事件はそのことを改めて痛感させられた。
2015年05月