
入試間近! バックナンバー
公立(県立)高校受験の日まで残りわずかとなった。淳風塾では最後の追込みを図っている。それぞれの生徒はそれぞれの思惑で受験校を決定しただろう。淳風塾は創業以来、本人の希望する学校を変えるなどの強制は絶対にしない方針でやってきた。人生のターニングポイントで、他人の人生を左右するなど恐ろしくて口を挟めない。
もちろん、過去のデータは隠さず生徒・保護者に提供する。希望の学校に届く、届かないは本人と保護者が判断すべきで、周りが口を出すことではない。受験生の皆さんは、自分で決めたことだからこそ踏ん張れる。本人以外が決めたことなど頑張れるはずがない。
明らかに合格圏外にいるにも関わらず受験した生徒も過去には何人もいる。「ひょっとしたら受かるかも?」と希望的な考えが自分の中で次第に膨らみ、最終的には「運が良ければ…」と思い至ったのではないか?
しかし、受験はそんな希望的観測で合格するものではない。よく「うちの子は運が良かったから…」とおっしゃる保護者がいるが、あくまでも日本人的な謙遜に過ぎない。点が不足すれば落ち、合格点に達すれば合格するのは自明の理である。
特に内申点が不足している場合は、極めて厳しい状況である。余程の高得点を取らないことには勝負にならない。靴の中に鉛の塊を入れてボクシングの試合に臨んでいるようだ、と言えば語弊があるだろうか?
しかし、厳しい状況であっても果敢に挑戦することは、長い人生において決してマイナスではない。15の春で長い人生が決まるものではない。高校入試は人生の単なる1里塚に過ぎない。
万一落ちた場合は、「なぜ落ちたのか?」を考え、その中で自分自身の欠点とか不足していた点に気づき、その後の人生に生かすことができれば、不合格は「何となく過ごして合格した生徒」よりはるかに得る物が多かったと言えるだろう。
ただ、落ちても何の反省もなく、今までと同じ生活を送るなら、落ちたことで何の教訓も得てない事になる。これは悲しいことだ。こういう人は人生の分岐点、分岐点で負け続けたとしても、何とも思わず、最終的には負けることに慣れるかもしれない。
「勝つとは何ぞや?」これは古くて新しい問題で、決して容易に結論が出る問題ではない。ましてや、私のような凡人が…。しかし、それを承知で大胆に言えば、お金や栄達を得ることが「勝ち」とは思わない。「この世に生まれて良かった」と思える人生こそ最高の勝利者だと考えている。
ところで、最近、何の罪もない子どもたちが、悲惨な事件で命を落としている。彼らはもっともっと生きたかったに違いない。君たち受験生が「イヤだなぁ」と感じている受験さえも、彼らは受けることなく死んでいったのだ。
彼らの保護者からすれば、君たちの悩みは「贅沢な」悩みである。毎日楽しいことが起き続け、嫌なことは起こらないことなどあり得ない。私は仏教観を説くつもりはさらさらないし、それを説くほどの人間でもない。
生きることは「苦」であると思ったらどうだろうか?私など、毎日問題作成などの仕事に追われ、ポスティングをし、さらに授業では必死に説明しても、分からん子ちゃんに、「わから~ん」と言われると一撃で撃沈である。
しかし逆説的だが、そういう「苦」である中にこそ「楽」があるのではないか?入試まで残りあとわずか。この残された日を悔いのない生活を送って欲しい。その生活の中にきっと「楽」があり、「喜び」があるに違いない。
2015年02月