宿題代行問題 バックナンバー
運転代行が盛んである。アルコール飲んでの運転で大事故が重なり、法律が厳しくなった。飲酒運転は運転している本人だけでなく、同乗者にも50万円の多額の罰金が課せられる。
社会的にも飲酒運転=犯罪の意識がかなり定着しつつある。そのため、飲んだときには運転代行を依頼するケースが増えている。これは良い傾向である。
昔からある輸入代行、最近では同窓会代行、営業代行、墓参り代行、お遍路代行、さらに謝罪代行など広範囲に渡って存在する。良し悪しは個人の主観によるのだろうが、お金で方がつく時代に入っているのだろうか?もちろん、個人の置かれている状況がさまざまなので、そういうニーズがあるのだろう。
企業はその経営効率を高めるために外注に出す仕事も多い。効率という面でとらえれば外注に依頼する方がコストパフォーマンスが高ければ外注に出す。それは利潤追求が企業の目的だからである。
その代行が、小学生・中学生にも及んでいる。いわゆる宿題代行である。生徒間で友人に頼んでやってもらうことは昔からときどきあった。また、保護者が宿題を手伝うことは良くあるようだ。しかし、宿題代行を生業とする業者がいるとは!
企業の業務の代行と宿題の代行とは、その目的がまったく異なっている。企業の目的は「利益の追求」であり、その目的に対して効率を上げるための手段に過ぎない。一方、宿題は本人の学力の維持・向上が第一義的な目的だろう。宿題代行はその目的に合わない。宿題の目的はそれだけではない。子どもたちに「やるべきことを決まった時期までにやらせ、社会的ルールを教える」という面もある。
噂では聞いていたが、先日の週刊ポストの記事には驚かされた。記事によれば、「読者感想文、計算ドリルはもちろん、絵画、自由研究、工作まで請け負う。中には「一流大学卒や海外留学・美大卒のスタッフを揃えているので安心」と謳う業者もあるらしい。
実際にネットで探すと宿題代行業者があるわ、あるわ…。小中学生の宿題代行だけでなく、卒論代行、レポート代行など「エッ」と感じさせる代行もある。
作文は「、400字詰め原稿用紙1枚が3千円~千円。絵では3万円前後が相場のようだ。絵画では本人の絵を送ると、そのタッチに合わせて描いてくれる。まるで本人が描いたのと見間違うほどの出来栄えが期待できるらしい。
算数の計算ドリルでは、本人の字をなぞらえてそっくりの字を書くと言う。それだけではなく、計算力のない生徒の場合、その顧客?に合わせて1割くらいわざと間違える答えを書くなど手が込んでいる。
ところで、絵画などで市とか県に出品され、受賞するとどうなるのだろうか?作曲家の偽装、食の偽装などと、どう違うのだろう。万一、それが表に出た時、子どもが追い込まれることになりはしないだろうか?保護者にはそれだけの覚悟はあるのだろうか。
内申点が半分を占める高校入試の仕組みがあり、宿題をしていないともちろんその評価は下がる。これを回避するには宿題を何らかの形で終えるしかない。本人がやらなければ手っとり早い方法-代行業に頼みお金で解決する-を取るのだろう。
親心として理解できないことはない。確かに「宿題を提出する」という目先の目的には合っているが、その子にとって本当に良いことであろうか?ズルをすることに何の痛みを感じないことを覚えるだけでなく、お金で何でも解決できると錯覚する子どもを育て、さらには依頼心を育てるだけではないのではないか。
競争社会が激化している現在、そういう環境で育てられた子どもが厳しい社会に出た時、本当に通用するであろうか。宿題代行は運転代行とはまったく異なる。保護者は肝に銘じなければなるまい。
2014年09月