子育てはインスタントにできる? バックナンバー
本田選手がイタリアのサッカーチーム・ミランに移籍した。しかもエースナンバーの10を背負った。私はサッカーについてはまったくの門外漢で、どれだけそれが凄いことかは分からない。しかし、プロ野球のマー君(田中将大投手)が大リーグに高額の年棒で移籍するのと同じぐらい凄いことなのだろう。
本田選手は最初の試合で途中出場し、翌日の新聞評価は6.5の非常に高い評価を受けた。積極的にゴールを狙う姿勢が評価されたようだ。ところが、2、3試合目の出場の評価は5.5で、何とチーム最低評価だった。
こういう落差の激しい評価は、日本ではまずあり得ない。本田選手がイタリア語を喋れるとはいえ、チームプレーが必要とされる集団競技では阿吽(あうん)の呼吸が必要で、他の選手の動きの特徴、性格など知らなければ結果はすぐに出るものではない。
じっくり長い目で見るという視点がないように思われる。高額な年俸なので、それに見合う働きをすぐに要求するのだろう。つまり、欧米諸国では1回1回の結果で評価するという考え方である。まさに厳しいビジネスの世界である。
日本のように、長い目で評価するという視点とは思考方法が異なるようだ。それはどこから生まれるのであろうか?民族性の相違と言えばそれまでだが、その民族性の相違の原因は何だろう?
思いつくことがある。日本はずっと長い間農耕民族であった。厳しい天候と戦いながら、何ヶ月かかけて食物を育てる。主食のコメに至っては半年もかけて育てることを、弥生時代から続けてきた。また、それを高床式倉庫に保管し、飢えをしのぐ工夫をして生きて来た。
ところが、狩猟民族である欧米諸国はその日その日が勝負であった。その日獲物が得られなければ生きていけないのである。また、寒冷な気候でなければ、肉の長期保存は困難である。まさにその日の獲物の獲得が彼らの飢えをしのぐ唯一の手段であった。
その気質が現在も脈々と受け継がれているように思われてならない。企業運営もしかりである。半期ごとの結果を公表し、4分の1期ごとに見通しを出す。それは彼らにとっては普通である。
グローバルスタンダードが世界から求められつつある日本も、上場している企業は欧米諸国と同じように短期での結果の公表と結果を求められている。これでは長い目で人を育て、商品を育て、企業を育てることが困難になるだろう。
企業だけではない。個人の生活においても、短期で結果を要求する人が増えている。それは子育ての面にまで及んでいる。1回1回の結果を要求し、常に上がり続けなければ我慢できない人も増えつつある。
すべての試験結果に一喜一憂し、期待している結果がでないと納得しない人もいて、極端な例では1回の試験ごとに塾を変える人もいるようだ。
本人の好きな分野、嫌いな分野(理科では1分野、2分野。社会では地理、歴史。数学では代数、図形など)もあり、一概に結果だけでは評価はできないはずである。特に文の読解力と基礎的な計算力がなければ短期に上がるものではなく、乱高下を繰り返すのが一般的である。しかし、すべての条件を捨象し、結果だけで判断するのである。
その根底には「1度上がったら下がらない」という意識があるのだろう。つまり、常に上がり続ける(結果を出す)とは、そういうことなのだ。
だが、客観的に内容を見れば明らかである。例えば、理科、社会が今回上がったとしても、次回の範囲はまったく別である。どの科目もそうなのだ。「上がったらもう大丈夫!」という論理にはまったく根拠がないのである。
他の分野と違って、子育てはインスタントにはできない。大人が企業で試行錯誤を繰り返すと同じように、子どもたちも試行錯誤を繰り返しながら育っていく。実はそういう試行錯誤こそ、子どもたちの将来にとって重要な経験である。何が良くて何が悪かったかを自分自身で反省することこそ、結果以上に重要なのである。
淳風塾は子どもたちに学力を伸ばす自信がある。だからこそ敢えて言う。子どもたちはジグザグを繰り返しながら成長していくと…。そして、それこそ彼らの血となり肉になるのだと…。
2014年02月