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 藤 圭子さんの死を悼む       バックナンバー

 藤圭子さんが亡くなった。若い人には彼女の名前はピンと来ないだろう。宇多田ヒカルさんのお母さんと言ったら分かるだろうか?

 彼女は一世を風靡した演歌歌手である。彼女のデビュー曲「新宿の女」はオリコンで連続何週も1位を獲得。さらに「圭子の夢は夜ひらく」は77万枚の大ヒット。

 20歳前後の、しかも京人形のようにかわいい子が、落ちていく水商売の女性の心情を切々と歌い上げた。彼女の可愛さと、ハスキーでドスの効いた声と抜群の歌唱力とのアンバランスは衝撃であった。彼女の演歌は怨歌(えんか)と呼ばれた。まさしく怨み節であった。

 当時はなんとも思わなかったが、今から振り返ると、年端もいかない18歳の少女があれほどの情念のこもった歌を切々と歌い上げたことが不思議でならない。

 当時、日本は高度経済成長の真っ只中であった。産業構造変革の中で、「金の卵」と言われた中卒、高卒の人たちが夢を抱いて都会に就職していった。

 その中には夢が破れて水商売とかヤクザの世界に入った人もいる。いい結婚相手を見つけるために、キャバクラなどに就職する人たちもいる現在の水商売とは、感覚がまったく違う時代であった。

 当時と現在ではまったく時代的な背景が違っていたのだ。そういう時代的背景もあって、彼女の歌う歌、歌う歌はことごとくヒットした。空前のヒット曲の「圭子の夢は夜開く」「新宿の女」をはじめ、「命預けます」「京都から博多まで」など、今でもすぐに思い浮かぶ。

 ちょうど1,2ヶ月前に、私は偶然にも彼女のCDを買ったところである。たまたまネットで彼女の歌をヒットしたので何気なく聴くと、妙に心に染み入り、CDを購入したのである。CDを一人で車の中で聴くと、若いときの思い出が脳裏に浮かんでくる。しかし、まさかこんな事態になるとは想像さえしなかった。

 楽譜の読めない彼女だったが、一度デモテープを聞いただけですぐに覚えたという。まさしく天才であった。そういう天才の持つ特有の心の闇があったのだろうか?それとも別の理由があったのだろうか?宇多田ヒカルさんのブログによれば療養していたという。

 心の闇は悲しいことに家族にまで及んでいたのだろう。元夫と7回の結婚離婚を繰り返しただけでなく、娘のヒカルさんとも疎遠になっていたようだ。

 幼少時には苦労したようだ。それが一夜にしてシンデレラガールになり、周りを取り巻く環境が一気に変わった。それに伴い彼女の周りの人たちの接し方も劇的に変わったのだろう。

 昨日まで冷たかった人たちが、ある日を境にして態度を急変させる。そういう掌を返した人たちへ人間不信は募ったのだろう。億の単位のお金がからめば、その金を目的に寄って来る人も多かったろう。一定の年齢であれば受け止められる変化も、20歳前後の子には受け止められなかったのではないだろうか?それが彼女を酒とギャンブルに走らせた一因と言えるのではないか?

 あれほどの歌手なのにその晩年は寂しいものであったようだ。ファンだった一人として何とも言えない気持ちになる。彼女の冥福を祈ってやまない。

2013年09月