ミシュラン2013年広島版に思う バックナンバー
ミシュラン2013年広島版の発売が6月。発売日当初は地元のTVでも何回か取り上げられた。しかし、現在では私の知る限り、ほとんど話題になっていない。東京版、京都版など全国的な話題となったのと比べると隔世の感がある。
それはなぜであろうか? 一つには地方都市という理由が挙げられる。人口1千万人を抱える東京と比べて、広島県の人口は260万人。世界的に有名な「ヒロシマ」と、日本三景の一つ「宮島」があっても、訪れる外国人の数も東京、京都と比べるべくもない。
さらに、「ミシュラン」への「慣れ」もある。二番煎じ、三番煎じという言葉があるが、まさにそういう状況もあるのではないか。
つい最近、初めてミシュラン2013年広島版を見た。私がときどき訪れるお店で見せてもらった。「タイヤの宣伝」と「グルメ本」-ざっと目を通した最初の印象である。
食べることが好きで、いろいろのところに食べに行く。細かく分析はしてはいないが、ミシュラン掲載の店舗のうち、4~5分の1は訪問していると思われる。
「特別なお店ではなく、ごく普通の店舗が掲載されている」という印象もある。星を獲得したお店もいくつか行っている。その中には?というお店もある。逆になぜ星がついていないのかと思う店もある。しかし、限られた調査員(報道によればたった5人)で、しかも短期間という条件下では仕方がないかもしれない。
調査員の問題もある。現地の調査員を使うのが、ミシュランの考え方のようで、日本人が調査にあたったようだ。東京、京都、広島、北海道だけでなく、今後も常に転勤がある。けたはずれた待遇があれば別だけれども、そうでなければ厳しい仕事である。
ある週刊紙によれば年収は確か400万円強だという。その報道が正しければ、食べることが趣味で味覚が発達している人がいても、それを一生の仕事とするには厳しいかもしれない。
その上、厳しい契約条項があるに違いない。ディズニーランドのキャラクターを演じた場合、それを生涯口外してはならないように、ミシュランも同じような契約条項が入っているのではないか。「私はミシュランの調査員をしていた」と周りに言いふらせば、「な~んだ、彼が調査員だったのか」、ということにもなりかねない。
東京版で抱いていたミシュランの印象と、掲載された身近にあるお店の印象とのギャップを、広島のマスコミ人だけでなく一般の人も感じているのではないか。遠くからみる景色と近くで見る景色の違いと同じような感覚を抱く人がいても不思議ではない。
ただ、他のグルメ本とは根本的に違う条件がある。それは掲載料をとっていないということである。多くのグルメ本は掲載料を取る「宣伝本」である。その条件の違いは限りなく大きい。しかし、TV、新聞で報道されるパブリシティも料金をとっていないので、それらとは同じ条件と言えるかもしれない。
「美味しい、不味いは誰が決める」-私は以前の「ひとりごと」で提起した。食文化はその社会の歴史的背景がある。しかも味覚は千差万別で、一人ひとりの今まで生きて来た半生を背負っている。
ある人にとって最高の食べ物でも、ある人にとっては最悪の食べ物である。肉の嫌いな人にとって最高の肉であっても最悪の食材と感じように…。同じ業種のお店がいくつもあるのは、消費者の味覚とニーズが多様だからである。
美味しい、不味いは誰が決める-それは一人一人が決めることであって、誰かに決めてもらうことではない。
2013年08月