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 「勉強」=「大量のプリント」?    バックナンバー

  長い夏休みが始まった。夏休みは受験生にとって、入試の大きな天王山であることは入試を経験した人には常識である。この40日間をのんびりする生徒と頑張る生徒では雲泥の差が生まれる。

 企業原則にも「上昇は鈍く下降は鋭い」という言葉がある。学力もまったく同じで、実力の上昇には少なくとも4ヶ月はかかる。逆に下がるのは2ヶ月もあれば十分?である。

 
大学入試では「数学1年、英語2年」という言葉もある。つまり、迷路に落ち込めば、そこから脱出するには最低でもそれだけかかるということだ。

 これは単に受験生に限ったことではない。
小学校からの基礎が出来ていない生徒は、中学校で伸び悩む。その理由は明確である。 具体的な数を扱う算数が理解できていなければ、文字を使う抽象的な数学が理解し難いのは自明の理である。国語でも短い文の意味が正しく取れなければ、長文の内容が理解できないのも自明の理である。さらに言えば、語彙数が少なければ社会、理科などの用語も覚えづらい
 
 さて、この40日間をいかに効果的に過ごすかは
本人の姿勢・態度が一番であることは言うまでもない。しかし、どんなに本人が頑張る姿勢を見せても、それを支えるシステムがなければ空回りで終る危惧もある。

 
塾によっては、「大量のプリント・宿題」を出すところがある。基本を理解しないで、あるいは問題を解く論理を理解しないで、むやみやたらに大量のプリントをやったところで大きな効果が出るものではない。

  しかし、そういう塾がかなりの数で存在しているのも事実である。その大きな理由はそれを支える消費者=保護者が存在しているからである。
「大量のプリント・宿題」=「学力向上」という図式が保護者の頭の中で成り立っているのであろう

 保護者もかつては子どもであった。現在の保護者の時代から塾は多く存在した。その頃も現在と同様に「山のような宿題システム」を採用している塾があった。そういう塾に通った経験の保護者も多いだろう。

  それで
大きな効果はあっただろうか?あの頃を思い出して欲しい。「イヤイヤ勉強させられて」ますます勉強嫌いになった方もいるに違いない。手を抜くことを覚えた方がいるかもしれない。

 立場変われば何とかやら…で、言われる立場から言う立場になれば、主張は正反対になるのであろうか?それとも、苦しかった子ども時代を忘れてしまったのだろうか?

 
淳風塾も大量のプリントをさせる時期はある。定期テストの時期はかなりの量のプリントをやらせる。「試験が終って集めるとびっくりする」と生徒からも言われる。しかし、それは普段の授業の中で基礎をしっかり固めた上でのことだ。

  単に覚える科目だと思われている英語にしても、be動詞、一般動詞、助動詞、それに時制、不定詞、動名詞、比較級、さらには関係代名詞を確実に押さえていないと、いくら問題をやっても効果は薄い。
その6割方は中1で出ている。淳風塾の広告に「基礎は小学生と中1にある」としている所以である。

  学校で学ぶ外国語は、一部の会話を除いて、必ず理屈にあったものを学ぶ。この理屈をしっかり押さえた上で、単語力、熟語を増やさなければならない。現在、会話がもてはやされる時代になっている。会話はブロークンでも通用するのは事実である。しかし、
日本が常に先進国であり続けるためには、海外の論文をいち早く読み、それを消化・吸収する人材の育成は必要不可欠な要素であることは論を待たない。

 社会・理科もしかりである。単に覚えるだけでなく、さまざまな知識を総合し関連づけた理解をしなければ、「役に立たない知識の羅列」に過ぎない。実際
入試でも記述式が増えている。例えば歴史では、その流れと歴史的事実の因果関係を理解しておくことが必要となっている。

 数年前に
愛媛新聞で中学入試に関するレポートが連載された。「宿題、宿題で追い詰められると、精神的な異常をきたす場合もある」との鋭い指摘があった。

 弊害はそれだけではあるまい。就職しても、
上司に命令されなければ仕事ができない大人になる危惧もある。見方によっては、保護者は、わが子を仕事のできない大人に育てようとしている、と言えなくもない。「勉強」=「大量のプリント」の図式は本当に成り立つのであろうか?

2013年07月