便利な社会の弊害は? バックナンバー
インスタント食品が巷に溢れている。ラーメン一つとってもその種類は驚くほど多い。湯を入れるだけ、温めるだけなど手軽に食べられ、その上味も悪くない。失礼な言い方になるが、下手なレストランより美味しい場合もある。
インスタント食品の種類が豊富な時代に育った世代は、インスタント食品が「お袋の味」になっているかもしれない。実際、「お袋の味」を目指すインスタント食品会社も多いだろう。
夫婦共働きが常識になった現在では、食事の準備に時間を割くことが困難になっている。そういう社会環境がさらにインスタント食品が支持されるスパイラルを生んでいるようだ。
インスタント食品だけでなく、惣菜の種類も豊富である。自分で料理する必要がない。さらに言えば煮魚のダシ、イタリア料理、フランス料理に使うソースもスーパーに行けば、簡単に手に入る。一昔前とはまさに隔世の感がある。
実は私もその恩恵にあずかっている。松山出張で自炊する際に、料理が趣味なので副食は昆布とカツオでダシを取るけれども、ご飯は電子レンジでたったの2分。実に便利である。ご飯を本格的に炊くのは釜飯くらいである。
スーパーで売られている食品だけではない。ちょっとしたオシャレな気分で食事をしたいときはカフェもある。オシャレな空間でオシャレな食事が、しかも安く食べることが可能な社会である。
握り寿司でも、今や回転寿司屋では1皿105円。懐の心配なくお腹一杯食べても1000円強の世界である。まさに至れり尽くせりである。こういう世界に慣れてくると食生活だけでなくあらゆる生活に、便利さ、手軽さを求めるようになる。
その現状に飽き足らず、もっと便利に、もっと安くと、人間の要求はどんどんエスカレートする。あらゆる面でもっと便利に、もっとお手軽に、もっと安さを求めるようになる。
それは子育てにも波及する。我が子の成績が簡単に上がることを求めるようになる。学校の定期テストごとに上がらなければ「我慢できない保護者も」出てくる。中には単元のまとめの小テストさえ気になる人もいる。すべてのテストで高得点がでなければ納得できないのである。しかも、手軽に、安く…。
物と人間存在はまったく別種であるにも関わらず、我が子の成長まで短絡的にインスタントに伸びを求める傾向が生じるのである。
試行錯誤を繰り返しながら基礎を固め、人間的にも伸びるのが人間である。勉強だけが特殊な世界ではない。国語で言うなら、毎日の生活の中で語彙を増やし、その言葉の微妙なニュアンスを学ぶ。それが物語文を読む力となり、人関係力を高めるのである。
社会でも同じである。マスコミで報道されている問題をそのまま受けとるのではなく、親子が話し合い、ネットや書物で調べる。こういう繰り返しがあれば、改めて勉強しなくても力はついている。
淳風塾は多くの生徒の学力を上げているという自負がある。それは単に力ずくでやっているわけではない。短期では効果があろうが、長期的にみれば力づくではマイナスの効果しかない、と考えている。
子育てに早道はない。また、お手軽に学力は付くものではない。新年度に向けて新しい生徒が入ってくる。淳風塾は彼らと地道に、そして楽しく学べる塾でありたいと思う。
2012年03月