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12の春で人生は終わらない!

子どもの勉強に最も熱くなるのは中学受験であろう。保護者を煽(あお)り立てる塾もあり、煽りたてたれた保護者同士もお互いに煽りたてる。この塾がいい、あの塾がいいとうわさし、1点上がった、1点下がったと喜んだり落ち込んだりする。

 この頃は子どもも保護者の思い通りになる年頃?である。(中高生ともなると保護者の言うとおりにならない?) 塾に「親が悪い。勉強に熱心でない!」とでも言われれば、子どもの成績が良くないのは自分のせいにしたり、父親のせいにする。「アナタが熱心でないから成績があがらないのよ!」と父親がサンドバッグ状態になる家庭もある?

 保護者が最も喜ぶのは「山のような宿題」と「限度を越えた長時間指導」である。子どもが悲鳴をあげながら宿題をやっている姿を見ると喜ぶ傾向が強い。いや机についているだけで安心するのである。たとえ、やっている勉強の内容が非効率で無駄の多いものでも…。ボーとしていても…?

 保護者の喜ぶ?山のような宿題がほとんどできないので、友人に借りた宿題の答えを書き写していても「勉強している」と思い込む保護者もいる。(中には学校で授業中に友達の答えを書き写す生徒もいると聞く) さらには塾の宿題をするために家庭教師をつける保護者もいる。ここまでエスカレートすればブラックユーモアと言うしかない。

 何時間もの長時間指導についても本当に効果があるだろうか?保護者自身の学生時代を思い起こしてもらいたい。また、現在の仕事に置き換えて考えても答えは簡単に出ると思う。ますます勉強がイヤになるだけである。

 子どもたちは学校で学んできて、さらに塾に行って勉強している。その上、山のような塾の宿題をするのは、保護者にたとえればどうなるのだろうか?社員として会社で働き、夕方は別の会社でアルバイト、さらにアルバイト先の仕事を「山のように」自宅に持ち帰ってするようなものである。

 敢えて言えば、「子どものため」という大義名分で勉強を押し付けることは形を変えたイジメである。子どもたちの「最後の砦(とりで)」である保護者が、その意図とは逆に、子どもたちをイジメていることにもなりかねない。

 子供たちは保護者の期待に沿いたいと必死にがんばるが、その期待は成績が上がれば上がったでさらに期待は膨らむ。その結果いずれは期待に沿えなくなる。そのとき、お互いの関係が悪くなる場合もある。マスコミをにぎわす事件がこれらの象徴でもある。

 一昨年、愛媛新聞で中学入試に関する連載のレポートが掲載された。勉強に追い立てられた生活を続ければ精神の変調をきたす。たとえ合格してもそこで待っているのは「2こぶ化」(つまり、勉強についていけるグループとまったくついていけない2つのグループに分かれる)であると…。

 早熟な子どもと晩成型の子どもがいる。勉強に向いている子、スポーツに向いている子、芸術に向いている子など、子どもたちは多様である。また、子どものときにこそ学んでおかなければならないこともある。

 「人に迷惑をかけない」「「我慢すること」「何をしてもいいのか、何をしたらいけないか」など、人としての基本的なことから、人の心のアヤを肌で学んでおくことが肝要であろう。なかんずく大切なことは「自ら考え自ら行動する」子どもたちに育てることである。それが身についていなければ、「知識はあるが知恵がない大人」になる。

 これでは企業の中でまったく通用しない。自ら考え自ら行動する人間ではない社会人であるため、指示待ち人間であるから…。将来良かれとやっていることが、逆に将来の目を摘むという自己矛盾に陥りかねない危険性をはらんでいるとも言えるのである。

 「勉強しなさい!勉強しなさい!」の一点張りでは子どもたちはやる気を失くすだけである。勉強とは本来、人間が持つ知的欲求である。「山のような宿題と限度を越えた長時間指導」は、子どもたちの知的欲求が逆に疎外されて勉強嫌いの子どもたちを育てることになりかねない。

 淳風塾は決して「限度を越えた長時間指導」と「山のような宿題」は出さない。それらを塾に期待する保護者には向かない。無理・ムダを徹底的に排除し、思考力を高め、知的興味を刺激しながら指導する方向こそ淳風塾の目指す方向である。

 実際問題として、思考力・論理力を高めれば、覚えることがかなり少なくなる。厳しい入試を受けた経験のある保護者にはご理解いただけると思う。しかし、淳風塾だからといっても、すべての保護者のすべてのご期待に沿えるわけではない。

 親が自分の子に期待するのは当然である。しかし、過剰な期待は子供たちの正常な発達の阻害要因になる。「親の務めは子どもを見守ることであり、期待通りにならなくても我慢することである」が私の持論である。間違っているであろうか?

2008年2月


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