「子育ての正解は?」 バックナンバー
「小学生の間はのんびりさせよう」「有名中学に合格させたい」-保護者の両極端の考え方がある。子育てはそれぞれの保護者と本人の考え方、希望、願望によって大きく左右する。子育てに正解はない。それぞれの考え方があり、唯一の正しい子育てなど存在しない。
学歴で悩んだ経験のある保護者は、ぜひとも有名中学に入れて、有名大学を卒業させたいと考えるかもしれない。逆に有名大学を出ても就職できない人を多く見かけた人は、どれだけそれが価値があるか、疑問に思う人もいるだろう。
また、その子の適性もある。運動の苦手な子をプロの世界的なサッカー選手とか野球のメジャーリーガーに育てるべく、必死に育てようとしても夢はかなわない。スポーツなどとは違って、「勉強だけは別」と考える人がいるが、勉強もまったく同じである。
一度指導すれば理解する子、何度も指導しなければ理解できにくい子。英語の単語などすぐに覚えられる子、なかなか覚えられない子。論理的に考えられる子、論理的に考えるのが苦手な子。空間図形が頭の中でイメージできる子、イメージができにくい子など…。まさに千差万別である。
これらは訓練すれば確かに上がるのは事実である。しかし、保護者の期待するほど無限に伸びるものではない。その子、その子の特性があり、それがその子の個性である。例えば、勉強は苦手でも人の物まねが上手な子、歌のうまい子、走るのが得意な子もいる。また、周りをホッとさせる人柄の子も…。
今回ノーベル賞を受賞した学者も、子どもの頃は腕白だった方、もう一人はのんびりしすぎるほどのんびりしていた方とまったく両極端である。おそらく子どもの頃、周りの人たちは彼らがノーベル賞を受賞するなど想像さえできなかっただろう。
ただ、言えることがある。どちらの両親も子供の「しつけ」については厳しかったようだ。また、「勉強、勉強!」と子どもに勉強を押し付けなかったようだ。自ら考え、自ら行動できる人間に育てていたと思う。
押し付けられて、その通りにやるように育てれば自主性は生まれない。二極分化がより明確になり、国際化が進んでいる厳しい現代社会において、自主性がなければ生き抜くことが難しくなっている。しかし、逆に一方では、知識をより必要とする時代でもある。
一部の子どもを除けば、ともすれば安易に流れて、スマホ、ゲームなどにのめり込み勝ちな、子どもを取り囲む社会環境がある。「勉強、勉強」と言わなければ、いつもでも遊び呆けがちになる状況は否定できない現実-そのため掛け算九九がやたら遅かったり、1ケタの足し算、引き算に時間がかかる生徒が中学2,3年生でもいる現実-がある。学年が上がるにつれて、それは重くのしかかる。
よほど強い意志がなければ、それを克服できるものではない。小学6年の学力が、大学入試を大きく左右するというデータを見たことがある。どこまで信頼性があるかは疑問ではあるが、現場に立つ実感としてうなづける部分もある。
一定の知識と自主性が必要な社会に、押しつぶされることなく、子どもたちが力強く生き抜くために、矛盾する両者をどのように両立させるかは容易に結論がでるものではない。わが子の性格、特徴を理解して保護者自身が自ら考え、実行するしかないと私は思っている。
2015年10月