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 裁判の実況中継!?        バックナンバー

 酒井法子被告の裁判のTV中継を偶然見て驚いた。彼女の裁判を傍聴したいと並んだ人数とその倍率もさることながら、裁判の途中経過の実況である。

 裁判室から飛び出したレポーターがTVの前にやってきて、息を切らしながらしゃべる。裁判が始まったばかりなのに、もう検察の求刑があったのかと不思議に思っていると「酒井被告の服装は…」などと裁判の大勢には何の影響もないことを必死に話している。

 な~んだこんなことか、こんなことに裁判室から出てきたのか!と思う暇もなく、次のレポーターが「酒井被告の様子は…」 これまた降りしきる雨の中を息切らしながら必死に報告する。

 すると、最初のレポーターがまたやって来て、「酒井被告の陳述調書…」 これを2,3分ごとに延々とやっている。レポーターは、局のおエラさんの指示通りに、必死にやっているのだろうが、観ている方はむしろイライラ感がつのる。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいので、うんざりしてチャンネルを変えると、変えたTV局でも同じようことを、これまた必死に繰り返している。さらにチャンネルを変えても結果はまったく同じであった。

 この人たちはスポーツの実況中継と間違えているのではないか?スポーツは筋書きのないドラマで、その一瞬、一瞬が大きな意味を持つ。しかし、酒井被告の裁判の一瞬、一瞬が大きな意味を持つとは思われない。裁判が終わってから報道しても何ら影響がない。むしろ、その方が全体を見渡すことができる。

 どのTV極もこれで視聴率が取れるとでも思っているのだろうか?そうであるなら勘違いもはなはだしい。むしろ、プロデューサー、スタッフの見識を疑う。

 この裁判に限らず、事件の関係者も来ているであろう。彼らにすれば迷惑極まりない。彼らは落ち着いて裁判の経過を見守りたいと思うだろう。裁判中に何人ものレポーターが出たり入ったりでは迷惑以外の何物でもない。

 ところで、マスコミは第四の権力だと言われる。その権力(言論の自由)をはき違えているのではないか?と思われてならない。「国民にできるだけ早く事実を知らせる」という大義名分が、そうさせるのであろうが、上記のような事項を1、2時間早く知ったところで国民にとってまったく価値はない。たとえ、野次馬感情でTVを観ていても、画面を必死で観たいと思うであろうか?

 第四の権力を持つマスコミは、何が大切で、何が大切でないかを取捨選択する必要があろう。その選択さえできないのであろうか?実際問題として、記者クラブ制度に守られ、それにあぐらをかいているマスコミもあるように思われてならない。そのことが逆に彼らの能力をスポイルしてしまっているのではないか?

 この際ついでに言えば、官僚の都合のいいリークをそのまま垂れ流す、一部のマスコミの姿勢にも憤りを感じることもある。さらに言えば、漢字の間違いなど日常茶飯事になっているように思う。マスコミ全体がレベルダウンしているように思われるのは私一人であろうか?しかし、それはまた、日本社会全体にも言えることであろうが…。

 酒井被告の裁判報道を通して考えさせられた一日であった。

2009年11月


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